少しして、ゆっくりと先輩が離れていく。絡んでいた両手と一緒に。目が合う。 先輩は無表情のままあたしを見つめる。なにを考えているのか分からない目だ。 なにをどうすればいいのだろうか。なにか話せばいいのだろうか。 そんな抑え切れない胸騒ぎでいっぱいだった。それでもやっぱりなにも出来なくて、あたしはうつむく。 沈黙の嫌な空気が2人の間にまとわりついていた。速いリズムで動く心臓を、あたしは止められない。 しばらくしてあたしは顔を上げて、先輩の顔色を見た。すると、先輩の表情は変わっていた。 「……はは、……ははははは、っははは!」 乾ききった笑いが先輩の口からこぼれてゆく。ねえ、どうしたんですか。胸が痛くなる。 無力なあたしは、名前を呼ぶことしか出来ない。 これで、少しでも先輩の"言葉に出せない思い"を取り除くことができたらいいのに。 「せん、ぱい……?」 「うっさいなあさっきから何回も先輩先輩ってさ」 急に先輩は笑うのをやめた。顔は笑っているのに、視線が冷たくて。 その視線に、背中がすうっと冷えていく。それは、あたしに踏み込んではいけないものがある事ことを伝えていた。 吐き捨てるように先輩はいう。 「……さくらのことは凄く好きだよ。きっと世界一好きだよ。……でもさ。 さくらは彼女じゃないんだからさ。抱き合うだけじゃ駄目なの? キスだけじゃ物足りないの?」 分かっていた。 だけど、その事実をあなたにこうもはっきりと突きつけられると、困ってしまう。 「え……?」 あたしは苦笑いするしかなかった。胸がずきずきと痛み始める。分かっていたのに。 「それ以上僕の中に入ってこようとするのやめてよ。 ……僕らの関係は外見だけにしてくれないかな。分かるよね? 僕の言ってる意味」 先輩は有無を言わせない口調で言い切った。笑ってこっちを見てくる。 綺麗な透き通った目の奥には、なにが隠されているのだろう。 やばいな。鼻がつうん、となるあの感覚が来る。分かってたはずなのに、彼女じゃないって。 あたしは所詮、浮気相手なんだって。よくドラマに出てくる、"悪者"なんだって。 なのに、なんであたし今、泣きそうなんだろう。 こんなところ見たら先輩も嫌になるに決まってるから一生懸命我慢しようって下唇を噛む。 「困るんだよ。僕の彼女はあくまで、知佳だから」 凍りきった時間の中に窒息で死んでいきそう。先輩の言葉がさらにあたしの胸を痛める。 胸に突き刺さって、消えない。あたしはうつむいたまま顔を上げれなかった。 先輩の顔を見たらきっと目に溜まった涙が溢れてしまう。泣いてるのが、バレてしまう。 そんな沈黙の中に、5時を告げる音楽が鳴った。あたしは唇を噛んで、玄関に放った鞄を持つ。 「……ごめんなさい」 これ以上無いぐらいに震えていた。か細い声は、すぐに空気に溶けていった。 冷たい風がすべてをさらってゆく、 ←BACK NEXT→ |