浮気をしました。






 今日は先輩と会う日。先輩の事だけ考えよう、先輩の事だけ。 今日は先輩と楽しく話すんだ、他の事は1つも考えずに。

 その日、先輩と何を話していたか、あたしは覚えていない。 あたしはずっと笑っていて、とにかく笑っていて、それに意味なんてなくて。 意味があるとしたら、無理やりに気まずい雰囲気になるのを防ぐためだったんだ。 ひしひしと感じる胸の奥の痛みは、気のせいにしていた。他の事は極力忘れるようにした。
 先輩が"知佳、"と名前を間違えそうになる時も先輩がケータイを気にする時も全て全て、"なんでも無い事"にした。 何も無かった事にすれば、うまく笑える気がしたんだ。
 そんな昨日を思い出してると、前の席の人がプリントを渡して来る。 ああ、授業中だったんだ。 どうやら、就職や進路関係のプリントらしい。あたしは目も通さずに、机の中に押し込む。


「千葉さん、」
「あ、はい」
 そういえば席替えしたんだっけ。横の横の席(でも横の席は不登校でいないから、 ほぼ隣)の麻川さんが声を掛けてくる。なんとなく、目が見れない。

「千葉さん大学何処行くの?」
「え、あたし……? あ、ああ……海都大学」
 ぎこちなく答える。麻川さんの表情が、少しだけ切ない表情のように見えた。 だけどそれは一瞬で、麻川さんはくしゃっと笑った。

「あたしと一緒だね」
 麻川さんは、"あたし"と言ったけれど、麻川さんの何処と無く冷たい表情からは、 "倉木さんと一緒だね"と聞こえた。

「頭良いんだね、」
「ああ違う違う、今光に教えてもらって……」
 あたしは咄嗟に言うのを止める。"今"……違う、今じゃない。ちょっとだけ、前の話。 麻川さんがえ? と聞いてきて、慌てて訂正する。

「あ、今、ドリルやってて勉強してる」
 そう言って笑ったあたしが見た麻川さんの目は、とても冷たくて、 あたしを、あたしのもっと奥の何かを見つめていた。


 そして、何日もがただ過ぎて行く。1日1日が何となく終わっていく毎日。 光から貰ったドリルを毎日やり、その日やった勉強を復習し、適当に予習し、 本屋さんで買った参考書をやる。後期は3月に試験がある。それまでは勉強に打ち込もう。 勉強をすれば、いっぱいいっぱいすれば、麻川さんのあの表情も、光のあの冷たい視線も、 先輩の悲しくなるぐらいに可愛い笑顔も、忘れられるよね。

 そして、終業式になる。普通に莉子と喋って、麻川さんとも喋って、クラスメイトと喋って。 先輩と頻繁に会っていた頃より、きっと今の方があたしは笑っている。
 でも、何かが痛かった。喋るのも楽しいけれど、何かが違っていて。 胸がきりきりするような感覚。その"何か"が分からなくていらいらする感覚。 けっきょく、どうすればいいのかなんて答は見つからなかった。 光の事も、もう、悩まないようにしよう。――……目が合わなくなって、公園でも会わなくなって、 一人だけ悩んでいるのは馬鹿みたいだから。もう、幼馴染とか、今は、違うから。




ひとりよがりの痛みは、




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