浮気をしました。




 そうして朝休みが終わっていく。授業中考えるのは、たったひとつ。"早く先輩に会いたい"
 それだけを考えていた授業も終わり、 あたしにとって1日の終わりを告げる何回目かのチャイムが鳴り、皆は靴箱に向かう。 あたしは急いで靴を履き替え、1人先輩の家へ駆けた。

 今日はなにを話そう。今日はなにをしよう。そんな期待で胸がいっぱいになっていく。
 5時までって限られた時間だから、なるべく早く行って、なるべく一緒の時間を増やしたい。
 あと少し。この信号を渡ればすぐそこ。ああもう、こんな赤信号蹴飛ばしてしまいたい。ああ、早く、早く。 いらいらとする自分を抑えられなくて、赤信号だったけど車がいなかったから渡った。

 やっと、会える。息を切らしながら、わくわくでいっぱいになった指でインターホンを鳴らす。

「はい」
「あたしです!」
 ゆっくりとドアが開く。その瞬間。


「せん、……」


 あたしの言葉を遮って、先輩はある行動をした。あたしの腕は強く引かれて、視界がたった一瞬にして変わった。
 目の前にあったのは先輩の服だった。先輩のいい香りがする。

 なにが起こったのか理解しにくくて、あたしは何度か目をぱちぱちさせていた。
先輩の暖かい、大きな手があたしを包み込んでくれている。 なにもいわずに、ただ、抱きしめてくれている。それがただただ、嬉しくて。 あたしは緊張していた糸をゆっくりと解いて、先輩の胸に少しだけもたれかかった。
 そして、ゆっくり、気付かれないように、自然に、先輩の背中に手を回す。

 きっとこれを麻川さんに見られたらお終い。外だし。……それでも。 先輩がこうやってあたしを無言で強く抱きしめてくれること。あたしにとっては1番の幸せだから――……

「っ……い、」

 先輩の抱きしめる手の力が強くなる。なんか、変だ。

 いつもならそんなことしない。そう分かっていたけれど、だって、否定なんかできなくて。 面倒くさい気持ちを隠して嘘の仮面を被って笑ってくれる。あたしはそれでも十分だ。 なのに、なんで? きっとなんかあったんだ。だけど、あたしにそれを聞く権利はあるのかな。――彼女でもないのに。

「せん、ぱい……?」

 先輩は黙ったままだ。あたしは顔を出して、それから2度名前を呼んだ。 そうすれば先輩はいつものように笑うと思った。冗談だっていうと思ったんだ。だけど、違った。


「麻川……」


 だけど、違ったんだよ。


「あさかわ……さかわ、麻川麻川麻川麻川」

 先輩は何度も何度も麻川さんの名前を呼ぶ。どんどんと大きくなっていく先輩の声。
 強く、荒く、麻川さんを呼ぶ。そんな先輩を目の前にして、どうすればいいのか分からないあたし。 ただ、どくどくと心臓の鼓動が速くなるのが分かる。 先輩が麻川さんの名前を呼ぶほど、ずきりと胸が痛む。胸になにか重いものが落ちてきたみたいな、重い痛さ。

 もうそれ以上麻川さんの名を呼ばないで。あたしを抱きしめたまま、麻川さんを思い出さないで。 やめて、もうやめて。

「先輩、せんぱっ、先輩離して下さい! 先輩あたし麻川さんじゃない、流先輩!」

 大きな声を出すと先輩は麻川さんの名を呼ぶのを止めた。唾を飲む。
 なにかがおかしい。そう、なにかがおかしいのだけれど。聞きたいのだけれど。


「……麻川は、……好きじゃない」




あたしのほいものは、そんなものじゃなくて。




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