あたしを抱きしめてくれた、暖かいぬくもりをくれたあの大きな手で、腕で、 麻川さんを優しく強く抱きしめている。別に、どうってことないでしょ? あたしの唇に重ねた、不安を一気に無くしてくれたあの唇を、 麻川さんの唇に重ねている。そんなの、普通のことなんでしょ? 別に、いつものことなんでしょ? ――……先輩。あたし、初めて先輩に抱きしめてもらった時、涙が出るくらい、とても嬉しかったんです。 家に帰っても忘れられなくて、クッションを抱きしめて、ずっとにやにやしてたんです。 家族に気味悪がられたけど、それぐらい、あたしすっごく、すっごく嬉しくて。 あたし、あの日、初めて先輩にキスしてもらった時、 期待しちゃ駄目って分かって、分かっていたけれど、それでも嬉しくて。 何度も鏡の前で唇触って確かめてみたり、にやにや笑ったり、忘れられなくて、何度も思い出したり。 先輩に好きと言われる度に胸が高鳴って、ドキドキして、その続きを期待してしまって、 馬鹿だとは分かっていたけれど、いつも、とっても嬉しかったんです。 先輩にとっては、ただの挨拶みたいなものかもしれないけれど。 誰でもやるようなものかもしれないけれど。ちょっとした遊びみたいなものかもしれないけれど。 あたしにとっては、たった1人、先輩にだけ、抱きしめてもらいたかったんです。 キスしてもらいたかったんです。好きだと言ってもらいたかったんです。 ――だからそんなに、先輩、軽々しくキスなんか、しないで下さい。 そんなに軽々しく"好き"なんて、言わないで下さい。 いつか記憶の中に、思い出の中に埋もれていくような、そんなキスにしないで下さい。 あたしに愛情が無いことはもう知っていることだから、だからもう、 抱きしめたりなんかしないで下さい。キスなんかしないで下さい。 優しい言葉や甘い言葉をかけたりしないで下さい。もう、そうやって期待させないで下さい。 期待なんかさせないで ←BACK NEXT→ |