アオの迷子。




「……どうだろ。困らせたいのかもしんないね」


ヤヨイは小さくうつむきながらそう言った。少しだけ笑いながら。 そんなヤヨイを気味悪そうに見つめるヒカルは、は? と眉間にしわを寄せた。

「覚えてるかな。宮崎くんと田中くん、部活入ってすぐのあたしに下手だなあいつって笑ってきたんだよ。 なにもできない役立たずちゃんって。かっこ悪いクラリネット吹きだって。 教室でタンギングの練習してるあたしに、そうこそこそ笑ってきた」

 ヤヨイの言葉に今度はヒカルがうつむいた。なにも言えない。 当時、吹奏楽部のヒカルたちと同い年の若田さんの事をヒカルたち3人は素敵だ素敵だといっていた。 廊下から練習している教室の中を覗くのはしょっちゅうで、若田さんは毎日3人を追い払っていた。 そんな時にヤヨイが後輩として入って来て、若田さんは3人に構うどころか追い払う事もしなくなり、 ただヤヨイに教えていた。 ヒカルたちはヤヨイにとられたなあ、とかあんな下手なやつのために、とか言いたい放題で、 ヤヨイの気持ちなんか考えずにただひたすら練習するヤヨイを笑った事は確かなのだ。
 ヒカルは唇を強くかみしめて、必死に耳を塞ごうとした。

「最悪って、そう思ったけど。でも。1年生の時生徒会入ってたじゃん。 あたし、その時まだ中学生だったけど、お姉ちゃんの卒業式見に来た時 在校生代表で喋ってる宮崎くん、すっごく素敵だった。 体育大会の時にピラミッドの上に立って笑ってる宮崎くん、すっごくかっこいいって思った」

 静かな廊下にヤヨイの声だけが響く。

「……だけど、今の宮崎くん、はっきり言ってかっこ悪い。生徒会、みんな 続けるって思ってたのに2年になったら辞めて。……それも仕方ないかなって、 思ってたけど。私事とかあるしね、でも……。それから部活も辞めて。 毎日遅刻してへらへら笑って。文化祭とか球技大会もだるそうに座り込んで。ぜんぶ中途半端で。 宮崎くんの方がかっこ悪い。なにもできてないのはそっちだよ。……だから、」

 ヤヨイは1回下を向いて、またヒカルの目を見た。
 ヒカルはヤヨイの言葉に圧倒されて視線に耐えきれなくなり、目を逸らした。


「だから、困らせたいのかもしれない。あたしを笑ってきたかっこ悪い宮崎くんを 困らせて、自分はかっこ悪いんだって気付いてほしいのかもしれない、あたし」

 ヤヨイはそう吐き捨てるとくるっと方向を変えてヒカルに背を向ける。そして ゆっくり歩き出し、1回立ち止まるとある言葉を小さく呟くと、今度は走って行った。 寂しい空間に1人取り残されたヒカルはうつむいて黙ったまま、突っ立っていた。 追いかける事なんて、優しい言葉をかける事なんて、できるわけ無かった。


「シュン、今日一緒に帰らない?」

 退屈な授業がぜんぶ終わって、放課後。ヒカルが早退したからぼくはシュンに声をかけてみた。

「……いいよ、」
 良かった! 今日は彼女と一緒に帰るんじゃないんだ!  弁当食べる時も、朝休みも、放課後もいっつも笹川さんと一緒にいるから、てっきり。 ぼくは嬉しくなってもう1つ希望を付け加えた。

「ねえじゃあ、ゲームセンターでも行って遊」
「無理」
 即答されて、ぼくは苦笑いしながらそっか、と呟いた。ゲーセン、3人でよく行ったのにな。 1番お金持ちのヒカルは何度もチャレンジして何個もキーホルダーをゲットして、 ゲーマーなシュンは1度だけのチャレンジで何個もキーホルダーをゲットして、 何もできないぼくは1個もキーホルダーをゲットできなくて結局2人からちょっとずつ貰ってたっけ。 おそろいで筆箱に付けてたキーホルダーも、気付いたらぼくしか付けていない。

「ヒカル、どしたんだろうね」
「さあ」
「……だよ、ね」
 絡みづらい。この上なく絡みづらい。

 シュンは帰る用意を鞄につめて早歩きで教室から出て行く。
「ちょ、シュン……!」
 待ってよ、という前にシュンが一瞬だけ止まって振り向いて、また歩き出す。なんなんだよもう……。




そんなきみがずっとすきだった。




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