浮気をしました。




 息苦しい。学校から先輩の家まで走りっぱなしは(運動駄目なあたしにとっては)とてつもなくしんどい。 それでもここまで走れたのは、早く先輩に会いたかったから。息を切らしながらインターホンを鳴らす。

 いつものようにドアの鍵を開ける音がして、先輩が出てくる。
 あたしはその途端に小さな門を開けて先輩を抱きしめていた。ぎゅっと目を瞑っていた。 "こうしよう"だとか"ああしよう"なんて全然考えてなかった。ただ、体が動いていた。 麻川さんのことが不安で不安でたまらなかった。

「どう、したの?」

 先輩の優しい声が聞こえた。あたしははっと我に返り、先輩から離れた。
 先輩に怒られるんじゃないかって怖くて、前みたいに怒鳴られるんじゃないかって思って、
 うつむいて小さく謝った。頭の上に影があるのが分かった。先輩が叩こうとしてるんだ。そう思った。 ごめんなさい、浮気がバレたらあたしのせいです。あたしはぎゅっと目を瞑る。

「なにか、あったんだ」

 優しい声。先輩はあたしの頭を丁寧に撫でていた。そしてあたしの頬を触り、あたしの顔を上げる。 先輩と目が合う。優しい視線が無性に痛くて、涙が出そうになった。 唇を噛んで、一生懸命我慢する。きっと今、凄く情けない顔。

「先輩……好きです、先輩だけが、好きです……」
「俺もだよ。……だから、泣くな」

 何度も何度も頭の中でリピートされる声。あたしはしばらく黙ったままだった。
 先輩はなにも聞いてこず、言ってこず、ただ優しく頭を撫でてくれた。不安だった気持ちがどんどん消えていく。

「せん……っせんぱい、」
「ん?」
「あの……明日は、用事があるんで、会えなくて……」

 先輩の表情は分からなかった。けれどきっとわがままだな、て思ってる。なんとなく、なんとなくだけど。

「そっか。じゃあ仕方ないよね。じゃ、来週の月曜日まで会えないって事か……」

 先輩はさみしそうに言う。きっと演技なのだろうけれど。そっか。3日も会えないのか。嫌だな。 せめて明日は会いたいけど、麻川さんにバレちゃうかもしれないし、仕方ないよね。
 先輩がなにか思いついたらしく、口を開く。

「あ、分かってると思うけど……」
「ケータイは使っちゃ駄目、でしょう?」
「当たり」

 先輩は笑った。分かってます。先輩、それぐらい。
 先輩を困らせたくないから、それぐらい、分かってます。使いたいけど、先輩が困ってしまうから。

「……じゃあ、また、月曜日」
 あたしが小さく呟く。先輩はその言葉も聞き取ってくれていて、バイバイ、と返して手を振った。
 木曜日は先輩に用事があるから早めに帰らなきゃいけない。 だから、まだ5時のチャイムは鳴ってないけれどあたしは帰った。 黙ってた時間がもったいなかったな、なんて、後悔しながら。




優しく突き放される




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