浮気をしました。




 家に入るとすぐにお母さんのおかえり、の声が聞こえた。仕事休みだったのかな。ただいま、と涙をこらえて返す。
 部屋に入って1人になると、また自然に涙が溢れる。拭っても拭っても情けない涙ばかり出る。

 ――明日、どんな風に先輩に会いに行こう。
 行かなきゃいいのだけれど、行かなければ終わってしまう気がした。
"平日は毎日会おうね? じゃないと、この関係もきっと途切れちゃうから"
 先輩が言った言葉にあたしは頷いたから。だから、行かなくちゃ。 そのためには、こんな弱い自分じゃ駄目。もっと強いあたしにならなくちゃ――……。

 次の日。いつもは遠い遠い放課後まであっという間になってしまった。 行きたくない。けど行かなくちゃ。使命感みたいなものがあたしを支配していた。 揺れ動くあたしの気持ち。結局、気づけばあたしは先輩の家の前。
 はあ、とひとつ溜め息をこぼす。なんだか怖かった。 "来なくて良かったのに"と言われるかもしれない。だから、行きたくなかった。 絶望を味わう気がしたから、来たくなかった。
 そう思ううちに、どんどん嫌な方へ想像が掻き立てられていく。

 もしも"もう来んなよ"と言われたら? もしも"もう嫌いだから"と言われたら? もしも"麻川の方に本気になりたいから"と言われたら?

 ――もしも、"だから、もうこの関係やめにしよう"と言われたら?
 ……嫌だ。あたしは唇を噛んだ。あまりにリアルに思い浮かんで、悲しくなった。
 行かなければ、そんなこと言われないだろうか。 インターホンを鳴らさなければ、傷つかないで済むだろうか。 あたしはそんな風に勝手に思って、とっさに後ずさりした。先輩の家から1歩離れる。

 帰ろう。怖くなったあたしはそう決意して、先輩の家に背中を向けて1歩進もうとした。


「なに帰ろうとしてるの?」


 進みかけた足が止まって、あたしはゆっくり振り向く。寒気がした。ごくり、と大きな唾を飲む。

「なんで帰ろうとしてるの」

 先輩が外に出てきていた。まるであたしを待っていたように、不安そうな目であたしを見てくる。 あたしはなんだか気まずくて、うつむいて目を逸らす。


「……ごめんなさい、」
 とっさに謝ってしまう。多分、先輩の視線はまだこっちにある。 なんて勝手な女だ。約束、破るなんて。なんであんな風に考えたんだろう。自分がひどく情けなく思った。
 先輩の足音が近づいてきて、あたしの腕は気付けば先輩の大きな手で掴まれていた。

「あっ……」
 そしてドアの前まで引っ張られる。抵抗もできない自分が悔しかった。

「なんで帰ろうとしたの?」
 もう1度、さっきと同じ質問をされる。強い視線を感じるけれど、目は合わせられない。




止まる足、まる視線、止まる時




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