ヒカルがひょこっとリビングから顔をだした。しばらく沈黙が続く。 ヒカルの切なさが痛いほどこっちまで伝わってくる。 「ヒカル、聞いてた?」 「……うん、」 そっか。聞いてたか。ぼくはもうひとつ溜息をついた。 しばらく黙っていたら、ヒカルの鼻をすする音が耳に入ってきた。 「……ヒカル、ヒカルのせいじゃないよ……」 「そーだよ。誰のせいでもない。……もしアユがあっちの街に行かなくても、 この街にいても、俺ら4人で大人になれるわけなんてないんだから。 あいつは女で、俺らは男。変わらなきゃ生きていけないんだって、分かってるだろ」 ヒカルはうつむきながら、手で口をおさえる。嗚咽が漏れた。 「俺のせいだよ……。全部、俺のせいだ……」 ヒカルがこんなに泣くのを見たのは、はじめてだった。 いつもいつも涙を流したかと思えば一瞬でけろっと笑顔になって。あの日もそうだった。 今日みたいに俺のせいであいつは、そう呟いて一筋きらりと涙を流したんだ。 だけどすぐ後に"いなくなってせーせーしたよあんなウザい馬鹿女!"とつよがって見せて、 ぼくはどうしたらいいのかわからなくなったんだ。 あの日。そんな強がりなヒカルとは違って、シュンはぼくだけに真実を教えると、思いきり泣いて、 ヒカルに、アユに申し訳ないと自分の太ももをなんどもなんども殴っていた。 "変わらなきゃ生きていけないんだ" わかってる。そんなこと。わかってるんだ。このままじゃ、いられないこと。 この街で、この3人で、このままで大人になってゆくことなんてできないこと。 なにかを捨てて、なにかを手に入れてゆくこと。そんなのもすべて受け入れて大人になってゆくこと。 それが大人だということ。 でもぼくには、わからないことがある。なにを捨てて、なにを手に入れればいいのか。 ぼくたちはあの日アユを失ってしまったけれど、そのかわりなにを手に入れたのかぼくは分からない。 青山さんとの出会いを手に入れたけれど、その代わりなにを捨てればいいのかぼくは分からない。 失ってしまったものはもう手に入れることができないのだろうか。もしできるのなら、アユを失う前に戻してほしい。 ヒカルやアユやシュンのプライドをぎたぎたに切り刻んだあの日を、ぼくらの幸せを奪ったあの日を、 ヒカルを臆病にさせたきっかけを、なかったことにしてほしい。 進んでゆくことは、たぶん予想以上にむずかしい。 進んでゆくこと、大人になること ←BACK NEXT→ |