「あのね、彩華ひっこし族? じゃないや、えっと……」
「転勤族?」
「そう、てんきん族! だからね、またね、彩華ね、この夏休みに遠く行っちゃうの」

 そうなんだ。言葉にすればその気持ちはとてもあっけなくて、あたしはどうしたらいいのか分からなかった。
 彩華ちゃんはいつもみたいに元気で、可愛い笑顔をあたしに向ける。 突然の彩華ちゃんの言葉にあたしは戸惑いを隠せなくて、正しい反応のしかたを 数の少ない引出しから必死に探していた。それでもあたしには見つける事ができなかった。

「でもね、彩華ね、ぜったいゆうかちゃんのこと忘れないよ! だからゆうかちゃんも 彩華のこと忘れちゃだめだよ?」
「うん、分かった」
「絶対だよ」

 あたしが頷くと彩華ちゃんはよかった! ときらきらの笑顔を見せる。 真っ赤な空が浮かぶ夕方の中、彩華ちゃんはいつもより何倍も輝いて見えた。

 あたしは極度の人見知りで、自分から喋りかけるのはもちろん、 クラスメイトから喋りかけられてもちゃんとした会話はひとつもできない。 1年生の頃、自己紹介を1人ずつする時に緊張のあまりなにも喋れなかった事がある。男子からからかわれ、 先生が男子たちを怒って、けっきょくあたしはごめんなさい、と謝る事しかしなかった。 そんなあたしに近寄る子はもちろん誰もいなくて、あたしは学校ではいつも1人だった。 運動はできず、その代わりといっては変だけれど勉強が得意だった。 休み時間はいつも本を読んで暇をつぶした。
 特に理科が大好きで、先生に飼育係を任されてからはうさぎに毎日会いに行き、喋りかけた。

"あたしもまーぜてっ"

 突然後ろからその声が聞こえて、あたしは驚いてその場ででんぐり返りをしてしまった事を覚えている。
 するとあたしを驚かせた本人はとても笑っていて、あたしもなんでか笑ってしまった。 それが彩華ちゃんとの出会いだった。

 彩華ちゃんはとても面白くて、いつもきらきら輝く笑顔を振りまいていた。 彩華ちゃんの周りには笑い声が絶えなくて、あたしが住んでる世界とはまるで別世界にいる子だった。 とっても元気で、あたしの大嫌いな運動が大好きで、休み時間はいつも運動場へ駆けていく。
 人の事が大好きでこんなあたしにも友達になろうといってくれた。 あたしはとても嬉しくてつい、こんなあたしでいいの? と聞いてしまった。

「あ、ゆうかちゃん。これね、あたしが大好きな本。 いっつもゆうかちゃんの好きな本よませてもらってたから、こんどはあたしの番」

 彩華ちゃんはそういって鞄から小さな絵本を取り出してあたしに差し出した。 いいの? 小さな声でそういうと、彩華ちゃんはうん! と大きく頷いた。 ありがとう。本を両手で抱きしめる。胸がきゅうって狭くなる。

「……ゆうかちゃん、なんで泣くの?」

 彩華ちゃんは小さな手であたしの頭を撫でる。あたしは、はじめて友達の前で泣きじゃくった。 泣いちゃだめって思うたびに涙が溢れて、どうしようもなく寂しくなった。
 彩華ちゃんが困るから。そう思ってあたしはごめんね、と言葉にしようと思ったけれど 口が震えてそれすら言葉にできない。

「ゆうかちゃん、いままで彩華といっつもいっしょにいてくれてありがとね、彩華すっごい嬉しかったよ。 彩華ゆうかちゃんのことだいすきだったよ! これからも元気でね、ね?」

 うん、うん。あたしは頷く事しかできなくてただただ何度も何度も頷いた。 あたしも、あたしもだよ、彩華ちゃん。


「あたしもっ……、あたしも彩華ちゃんの事、大好きだよ……! ばいばい、彩華ちゃん!」


 あたしが左手で本を持って右手を上げて小さく振ると、彩華ちゃんはありがとう、と笑った。 そして彩華ちゃんはあたしの右手を握った。あたしは握られた右手を見てから、ためらいながら顔を上げる。

「ばいばいじゃないよ、」

 彩華ちゃんはそういって首を傾げた。彩華ちゃん、彩華ちゃん。今までほんとうにありがとう。 彩華ちゃんはいつまでもあたしの1番の友達です。もしも彩華ちゃんがあたしを忘れても、 あたしは絶対に彩華ちゃんの事を忘れません。だって彩華ちゃんはあたしの憧れだったから。だから、絶対に忘れません。


「また会えるよの握手、」


 握った手からはやさしいぬくもりがじんじんと伝わってきて、あたしはまた泣きそうになった。 顔を上げると彩華ちゃんは笑っていたけれど頬に涙がきらりと光っていて、その笑顔がとても愛しくてあたしも笑った。







「子守唄と低体温」提出。素敵な企画に参加させて頂きありがとうございました!